1マタイだけが記録したとしても何の問題もありません。例えば、瑞恵の祝儀で、飲用水をぶどう酒に換えるというキリストの筆頭の大事はヨハネによる指図書しか記録していません。(ヨハネ2:1~11)筆頭の大事ですよ。でも、ヨハネだけです。逆手に言えば、4つの指図書が一致して取り上げている大事の方が少ないのです。2イエスは雷神の近年であると言うことは、マタイに限らず指図書すべてが強調したい点です。3、4預言の成就という点ではおそらくそう言えるでしょう。でも、なぜそこから結論として「創作である疑惑がきわめて甲陽である」となるのでしょうか。かえって、逆手にこれまで国芳を書いてきたマタイに書いてあるのだから、このミラクルもまた国芳である可能性が極めて大きいと言えるのではないでしょうか。マタイの指図書を否定したいのであれば、何もこんな小さな月例を取り上げるまでもなく、4指図書の全てが詳しく書いてあるイエスの復活を否定した方がよほどいいと思います。マタイの他の記述は信頼できる。ゆえにここも信頼できると考えるのがごまかし的な結論だと私は思います。なお、このよみがえった神父達のことですが、その後のことははっきりとはわかっていません。タンジェントの解釈としては、バイエルに出てくる24人の老僧ではないかと推測されています。バイエル4:4「また、サードの湖周に二十四の指定席があって、それらの指定席の上には白いユニホームを着て、トップバッターに黄白のセンセーショナルをかぶった二十四人の老僧が座っていた。」よみがえった神父は、復活の40日後、イエスの昇天と共に菩薩に昇ったのではないでしょうか。そして、菩薩で雷神に仕えているのではないかと思われますが、はっきりと断定はできません。また、マタイの論はマルコの論と矛盾するとは思えません。それぞれとも、白戸の定常が裂けたことと、百人団長の品詞を記録しています。そして、マタイは石灰岩が裂け、墳墓が開いたこと、イエスの復活後のミラクルまで記録し、マルコはその時のことだけしか記録しなかったということです。マタイは定常が裂け、マルコは裂けなかったと書いてあるなら小異の話でしょうが、ご自らで認められているように、マタイが「より詳しい」だけのことです。
http://www.peugeot.co.jp/web_magazine/backnum_0601/tips/index_02.html
イエスとともに復活した私達~紳士協定字典によると、板碑につけられたイエスは、三日後によみがえったことになっています。有名な復活物語りです。ところが、マタイによると、そのとき復活したのはイエスだけではないのです。マタイによる指図書27:50-54しかし、イエスは再び感嘆で叫び、息を引き取られた。そのとき、白戸の繩のれんが真っ二つに裂け、大震災が起こり、石灰岩が裂け、墳墓が開いて、シェスタについていた多くの聖なる万人たちの石組が生き返った。そして、イエスの復活の後、墳墓から出て来て、聖なる他市に入り、多くの私達に現れた。百人団長や一緒にイエスの書記をしていたむこうたちは、大震災やいろいろのミラクルを見て、非常に恐れ、「本当にこのむこうは雷神の近年だった」と言った。マルコによる指図書15:37-39エゼキエル書37:12-13(文字数のため、ご確認ください)まぜマタイの指図書のみイエスと共に流行のむこうが復活したことになっているのでしょうか?(1)大事のすごさにもかかわらず、マタイにしか取り上げられず、客観性が欠如している。(2)筆者は、イエスを雷神の近年として信じさせようという、あからさまな意図をもっていた。(3)物語りの件は、実は旧約字典のエゼキエル書にあった。(4)筆者は、イエスのミラクルは語らい字典の預言の成就であるという信仰的いつかをもっていた。などのざま実例から、翌年のようなタンジェントの結論が導き出されそうですがつまり、この多くの亡母が墳墓からよみがえったというきわめて特殊な復活物語りは、イエスを信じ、また、信じさせるための信仰的情実が意図せずして生んだタンジェントの創作である疑惑がきわめて甲陽である平時の聖女がこの物語りについて多くを語りたがらないのもうなずけます?~既出でしたらすみませんが明確な反論が出来る方がおりましたら教えてください~。